————————-PRESENT BY OMIX FILM ——————————
「新盆 -そこへ至る母との7年-」
2015年7月、おふくろが癌になり、腫瘍をとる手術をした。
腫瘍は黒い塊だった。
もう大丈夫といわれていたはずが、1年後に転移、再手術。
抗がん剤を服用したが少しずつ身体が弱り、見るからにつらそうだった。
おふくろに聞いた「まだ生きたいか?」
少し考えてから答えた「生きたい」
この言葉を聞いて、俺は決心した。
東京に連れて行こう、そして都会の先進的な病院で診てもらおう。
30年前、俺はおふくろを田舎に残し、東京の大学へ。
以来、年に1、2度帰省するくらいだった。
そして今、ずっと離れていたおふくろとの暮らしがはじまった。
最初は良かったが、しだいに気持ちに溝がうまれた。
入退院を繰り返すおふくろ、そして仕事と看病に疲弊する。
自分の時間がなくなり、行き場のない苛立ちがつのる。
こんな生活がいつまで続くのだろうか。
おふくろを連れてきた以上、最後までやり遂げなければいけない。
意地がある一方で、不安で押しつぶされそうになる。
ある日思った、もう自分の人生はおふくろに捧げよう。
いままで育ててもらったじゃないか。
どんなときもおふくろは味方だったじゃないか。
自分の気持ちに整理がついたそのときから、
おふくろは俺に感謝の言葉をかけてくれるようになった。
きっと、おふくろも何かを感じ取ったのだろう。
それからは、幸せな日々がしばらく続いた。
母ひとり、子ひとり、俺とおふくろにはお互いしかいない。
家族と一緒に過ごせるありがたみが身に沁みた。
2021年12月22日
おふくろは眠りから覚めることなく旅立った。
穏やかな表情に、心から安堵した。
コロナ禍であるにも関わらず、看取ることができた。
それは母と子をそっと見守ってくれた医療関係者の配慮であり、いまでも感謝の気持ちしかない。
おふくろと7年間の濃密な時間を過ごせた。
おふくろの命に限りがあることは最初からわかっていたが、
もう少し生きていて欲しかった。
命を分けてもいいからまだ一緒にいたかった。
夢が叶うならもう一度おふくろに会いたい。
最後におふくろへ
ここまでよく頑張ったね。
最期まで見届ける事ができてよかった。
もう体の痛みはなくなったか?
また歩けるようになったか?
一緒に歩んだ日々は幸せだったよ。
「あなたを産んでおいてよかった」
そんな事を言ってくれてありがとう、嬉しかった。
まだ先になるけど、俺がそっちに行ったらまた会おうね、それまで待っててね。
あなたと一緒にいた時間は宝物です。
或る男の独り言